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ニューロモルフィック技術が切り開く脳型コンピューティングの未来展望

アスタミューゼ株式会社

著者:アスタミューゼ株式会社 森竣祐 博士(工学)/ 琴岡匠 博士(工学)
「脳型コンピューティング」技術の社会的な役割とは
日本政府が目指す未来社会の姿として、仮想空間と現実空間の融合によるスマートシティの構築などを通して、経済発展と社会的課題を両立する「Society 5.0」という概念が提唱されています。

実現に向けては、膨大なビッグデータの収集・分析が重要であり、人工知能(AI)や次世代の情報処理技術の開発が求められています。

総務省の情報通信白書によると、世界のメタバース市場規模は2023年時点で約8.6兆円、2030年には約120兆円と大きく成長することが予測されています。日本においても連続的な成長が見込まれ、2026年度は1兆円を上回る予測です。

高度なデジタル社会では、AIやロボットがデータに基づき、人間のように作業や処理を行うことが想定されています。デバイスが脳のように機能する脳型コンピューティングが、状況に合わせた柔軟な認識や判断処理を行う技術として注目されています。従来のノイマン型コンピュータでは演算部と記憶部が分かれているのに対し、脳型コンピューティングは非ノイマン型コンピュータに分類されます。既存のコンピュータ技術として比較される対象は、汎用的な従来型のノイマン型コンピュータや、量子ビットにより情報を処理する高性能な量子コンピュータになります。

機械学習・深層学習による画像・音声認識、自動運転、新材料の設計など様々な情報処理の基盤となり、クラウド上やエッジ(スマートフォンやPCなど)のAI処理も大幅に効率化されると期待されます。現状は基礎研究の段階であるものの、生物学的なモデルに基づき脳の機能をより精密に模倣し、計算の高効率化を実現する試みもあります。

これらの技術をビジネスに展開するためには、材料・デバイスの特性を応用して、神経細胞や感覚器の機能を持ったデバイスを開発する必要があります。ユーザー視点から脳型コンピューティングデバイスに求める価値は、より複雑な問題や複数のタスクを処理する計算能力、そしてデバイスへの応用・実装しやすさ(汎用性)です。その上で、エネルギー消費量や応答速度などのデバイス性能が重要となります。さらに、近年の半導体技術において、「ムーアの法則」などにおける素子の集積化にも限界が近づいていると指摘されており、従来とは異なる設計アプローチによりデバイスを微細化する必要があります。

脳型コンピューティングの技術要素としては、
ソフトウェア
– – AIモデル・アルゴリズム:従来のニューラルネットワークなど。
– – 脳モデル・アルゴリズム:工学的なモデルではなく、脳構造や神経活動をより精密に模倣したモデル。Spiking Neural Network(SNN)など。
ハードウェア
– – デバイスアーキテクチャ:素子設計などの基盤技術。
– – ニューロモルフィックチップ:神経細胞を模倣した素子で構成された専用チップ。
– – ニューロモルフィックセンサー:感覚器(視覚・触覚など)を模倣したセンシング素子。
– – メモリ技術:非ノイマン型に使用されるメモリ技術。メモリスタなど。

などが挙げられます。

これらの中でも重要な技術の1つが、ニューロモルフィックチップです。これは、神経ネットワークのモデルを集積回路上に構築する技術で、低消費電力かつ高速なタスク処理を可能とします。素子のスケーラビリティにも優れるため、既存の半導体技術やコンピューティングデバイスが課題とする製品の微細化にも貢献し、上述した価値を広くカバーできる技術と考えられます。

本レポートでは、膨大なデータを低消費電力・高速かつ高度に処理するデバイスとして、ニューロモルフィックに関する技術を取り上げます。アスタミューゼ独自のデータベースを活用し、スタートアップと研究プロジェクトから対象技術の動向を分析しました。
スタートアップ企業から見る脳型コンピューティングの動向
スタートアップ企業のデータベースから、会社概要(description)に「脳型コンピューティング」や「ニューロモルフィック」などの記載がある企業を抽出しました。スタートアップ企業は、新しい技術で社会や既存プレイヤーにインパクトを与える企業であり、その資金調達額は社会の期待値を反映しているとみなすことができます。

ここでは、データベースの文献に含まれる特徴的なキーワードの年次推移を抽出することで、近年伸びている技術要素を特定する「未来推定」という分析を行っています。この分析では、キーワードの変遷をたどることで、すでにブームが去っている技術やこれから脚光を浴びると推測される要素技術を可視化して、黎明・萌芽・成長・実装といった技術ステータスの予測が可能です。

2012年から2024年までに設立された、脳型コンピューティングに関わるスタートアップ企業73社の会社概要に含まれているキーワードの年次推移を図1に示します。

図1:脳型コンピューティングに関わるスタートアップ企業の概要に含まれる特徴的なキーワードの年次推移

ここでの成長率(Growth)は各年の文献内における出現回数と、直近6年間(2019~2024年)での出現回数の割合で表し、数値が1に近いほど直近で出現している頻度が高いとみなせます。出現回数の割合が顕著に増加傾向にある語は「brain-computer」や「interface」で、脳とコンピュータをつなぐ「Brain-Computer Interface(BCI)」への注目の高まりが現れています。これには、人間の脳から直接測定した信号を積極的に活用し、AIや医療用ロボットへ展開させていきたいという社会のニーズによるものと推測されます。その一方、全体の成長率は値が0.5以下であり、スタートアップ企業において出現が伸びている語は見られないことがわかります。

次に、スタートアップ企業の全体数と資金調達額の現状を確認します。図2は、各年で資金調達のあったスタートアップ企業の件数と調達額の推移です。


図2:脳型コンピューティングに関わるスタートアップ企業の数と資金調達額の推移

資金調達額は増減を繰り返していますが、中長期的には上昇トレンドにあります。変動を繰り返しながら今後も成長する可能性が高いでしょう。一方、調達のあった企業の件数については増加の傾向が見られていたものの、2022年に大きく減少しました。これは、大きな割合を占める米国や欧州の景気や投資傾向の変化を反映していると見られます。

図3には2014年から2022年における国別でのスタートアップ企業の件数を示します。国別では米国が圧倒的に多く、その次に中国、カナダ、英国、スイスが続く形となっています。日本はまだ1社しかなく、今後増加することが期待されます。

図3:脳型コンピューティングに関わるスタートアップの主要な国別件数

以下に、資金調達額上位のスタートアップ企業を一部紹介します。
Prophesee
– – https://www.prophesee.ai/
– – 所在国/創業年:フランス/2014年
– – 資金調達状況:約1億1,000万米ドル
– – 事業概要:ニューロモルフィックビジョンシステムの発明を基に、センサーとAIアルゴリズムを用いて、人間の目と脳の働きに基づいた新しいコンピュータービジョンパラダイムを導入。

Precision Neuroscience
– – https://precisionneuro.io/
– – 所在国/創業年:米国/2021年
– – 資金調達状況:約5,300万米ドル
– – 事業概要:神経疾患患者の画期的な治療法を提供すべく、低侵襲で安全に取り外し可能なうえに、大量のデータを処理できるBCIのニューラルプラットフォームを構築。

SynSense
– – https://www.synsense.ai/
– – 所在国/創業年:スイス/2017年
– – 資金調達状況:約5,100万米ドル
– – 事業概要:従来のノイマン型コンピュータの限界を克服し、超低電力および超低遅延機能を必要とする様々なAI向けのニューロモルフィックプロセッサを開発。

脳型コンピューティングのグラントと研究プロジェクトの動向
次に、グラント(科研費など競争的研究資金)の動向を示します。グラントのデータには、まだ論文での発表がなされていない問題や課題にむけた、新しいアプローチ手法や研究事例が記されているとみなすことができます。

図4に2012年から2024年までの脳型コンピューティング技術に関するグラントに含まれているキーワードの年次推移を示します。

図4: 脳型コンピューティングに関わるグラントに含まれる特徴的なキーワードの年次推移

出現回数の割合が増加傾向にある語は「energy-efficient」といった動作性能に関係するワード、「compute-in-memory」などデバイスの設計に関係があるワードとなっており、脳型コンピューティングデバイスの消費電力をはじめとした動作効率や、構造の最適化に関する課題が残されていると推測されます。また、「SNN」などのワードが見られ、脳構造や神経活動を生物学的に模倣する基礎研究にも注目が集まっています。現在は工学的なモデルが基盤となる脳型コンピューティングに対して、更なる低消費電力化に向けて生物的なモデルを実現しようというパラダイムシフトの兆候が見て取れます。スタートアップとは対照的に成長率の高いワードが広く抽出され、グラントにおいては使用頻度が大きく上昇している、または新規性の高い用語が多く出現していると言えます。

次に、各国におけるグラントの件数の年次推移を図5に、配賦金額の推移を図6に示します。ただし、中国はグラントデータの開示状況が年によって大きく異なり、実態を反映していない可能性が高いため除外しています。また、公開直後のグラント情報にはデータベースに格納されていないものもあるため、直近の集計値は過小評価されている可能性があります。

図5:上位5か国の脳型コンピューティング技術に関わるグラントの賦与額の推移


図6:上位5か国の脳型コンピューティングに関わるグラントの賦与額推移

米国の件数が諸外国と比較して非常に多く、2015年から着実に増加しています。研究配賦額においては、米国がトップの年もある一方で、EUが著しい配賦額の伸びを示しております。米国では科学技術研究に関する予算が大きく、グラントやスタートアップ企業の件数が増加しているためと思われます。一方で、EUでは2020年あたりから大規模な予算が投入されていますが、ニューロモルフィックチップやAI技術のみならず、物性物理から人間の脳モデルに関する研究など広い分野で高額のプロジェクトが見られることによるものと考えられます。

以下にグラント事例の一部を紹介します。
Quantum Materials for Energy Efficient Neuromorphic Computing (Q-MEEN-C)
– – 機関/企業:University of California, San Diego
– – グラント名/国:DOE/米国
– – 採択年:2022年
– – 資金賦与額:約1,500万米ドル
– – 概要:ニューロモルフィックコンピューティングに生物学的な性質と機能を搭載すべく、従来の材料やデバイスアーキテクチャの課題を解決する量子材料の活用を目的とする。量子材料により脳の機能を実現し、高エネルギー効率なコンピューティングの基盤を構築する。

Ai for New Devices And Technologies at the Edge
– – 機関/企業:STMicroelectronics (Grenoble 2) SAS
– – グラント名/国:CORDIS/EU
– – 採択年:2020年
– – 資金賦与額:約1,350万米ドル
– – 概要:エッジコンピューティングを構築する基盤としてAIを利用するために、堅牢なハードウェアとソフトウェアのプラットフォームを構築することを目指す。ニューロモーフィックコンピューティング機能を併せ持つことで、非常に高い電力効率を実現する。

脳型コンピューティングの展望
本レポートでは、脳型コンピューティングにおけるスタートアップ企業とグラントのデータベースを用いて、キーワードによる技術変遷の推定と各国における技術分析を行いました。

スタートアップ企業の分析からは、さらなる市場の拡大に向けて、BCIやAI向けのコンピューティングへの意識の高まりが反映されていると推測されます。

グラントの分析では、基盤となるデバイスアーキテクチャやエネルギー効率の向上に関するプロジェクトに資金が投入されており、汎用や実用に向けた製品や動作性能が課題となっていると推測されます。また、生物学的な脳モデルへの応用や量子物性の活用など、基礎研究フェーズから脳型コンピューティングの性能革新を目指すプロジェクトも見られます。

これらを総合的に踏まえると、脳型コンピューティングは現在流行しているAIへの応用だけではなく、社会的な価値を実現すべく、材料やデバイスの設計、アルゴリズム開発など基盤となる技術の開発も重要視されています。世界的にも、増大していく次世代の情報処理やAIの高機能化に関するプロジェクトが多い傾向にあります。新たな技術の発展によりもたらされる価値が増えていく魅力的な分野として、今後ますます拡大していくと思われます。

著者:アスタミューゼ株式会社 森竣祐 博士(工学)/ 琴岡匠 博士(工学)
さらなる分析は……
アスタミューゼでは「脳型コンピューティング」に関する技術に限らず、様々な先端技術/先進領域における分析を日々おこない、さまざまな企業や投資家にご提供しております。

本レポートでは分析結果の一部を公表しました。分析にもちいるデータソースとしては、最新の政府動向から先端的な研究動向を掴むための各国の研究開発グラントデータをはじめ、最新のビジネスモデルを把握するためのスタートアップ/ベンチャーデータ、そういった最新トレンドを裏付けるための特許/論文データなどがあります。

それら分析結果にもとづき、さまざまな時間軸とプレイヤーの視点から俯瞰的・複合的に組合せて深掘った分析をすることで、R&D戦略、M&A戦略、事業戦略を構築するために必要な、精度の高い中長期の将来予測や、それが自社にもたらす機会と脅威をバックキャストで把握する事が可能です。

また、各領域/テーマ単位で、技術単位や課題/価値単位の分析だけではなく、企業レベルでのプレイヤー分析、さらに具体的かつ現場で活用しやすいアウトプットとしてイノベータとしてのキーパーソン/Key Opinion Leader(KOL)をグローバルで分析・探索することも可能です。ご興味、関心を持っていただいたかたは、お問い合わせ下さい。
– コーポレートサイト:https://www.astamuse.co.jp/
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